家康を二度破った知将・真田昌幸 武田信玄に“我が両眼の如し”と称された伝説的な戦功の数々【前編】 (7/7ページ)
これが「第一次上田合戦」である。この合戦での兵力は徳川勢7,000人に対して真田勢は1,200人ほどといわれる。
しかし、5倍以上の兵力差を昌幸は巧みな戦術で乗り切った。昌幸は上田城下の奥まで徳川勢を引き込むと、その軍勢に伏兵をもって火を放った。城下を焦がす紅蓮の炎に煽られ、退却しようとする徳川勢に長男・信之の別動隊が横矢を入れる。
さらに昌幸率いる本隊が大手門から突出して、一斉射撃の後に襲い掛かった。この攻撃に徳川勢は1,300余の将兵を失った。対して真田勢の犠牲はわずか40人ほどであったという。
「第一次上田合戦」は、真田方の大勝利に終わった。昌幸は、上田城をさらに堅城とすべく普請と拡大を続けた。これが後の「第二次上田合戦」に活かされていくのである。
さて、[前編]はここまで。[後編]では豊臣秀吉麾下の大名となった真田昌幸についてお話ししよう。
※参考文献
高野晃彰著・編集 『真田幸村歴史トラベル 英傑三代の地をめぐる』メイツユニバーサルコンテンツ刊
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