家康を二度破った知将・真田昌幸 武田信玄に“我が両眼の如し”と称された伝説的な戦功の数々【前編】 (4/7ページ)

Japaaan

信玄の家督を継いだ武田勝頼(Wikipedia)

しかし、1575(天正3)年の長篠の戦いで信綱と次兄・昌輝が戦死したため、昌幸が真田家に復して家督を継ぐこととなった。

その後、昌幸は勝頼をよく補佐し、上野国への侵攻を中心に武田家のために尽力する。しかし、天下の趨勢(すうせい)は織田信長の掲げる「天下布武」へと大きく傾いていた。

武田家を滅ぼした織田信長(Wikipedia)

1582年(天正10)、信長は嫡子・信忠を総大将とし、総勢約10万人の大軍をもって武田討伐を開始。これに対し、高遠城を除く信濃の武田諸城は、ほとんど抵抗することなく降伏した。

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