家康を二度破った知将・真田昌幸 武田信玄に“我が両眼の如し”と称された伝説的な戦功の数々【前編】 (6/7ページ)

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幸隆以来の拠点・真田氏本城(撮影:高野晃彰)

しかし、武田滅亡からわずか3か月後に本能寺の変が起き信長が討たれると、武田旧領をめぐり徳川氏と北条氏が争う「天正正午の乱」が勃発した。この乱は、信長の子・織田信雄の仲介で講和が成り立つが、甲斐・信濃は徳川家康に、上野は北条氏政が切り取り次第と決まったのである。

こうして1585(天正13)年、家康は昌幸に上野の沼田領と吾妻領を北条氏に返還することを迫る。これに対し、昌幸は上田城に本拠を移し、越後の上杉景勝に次男・信繁を人質として送り、徳川氏に反旗を翻した

昌幸が築いた上田城(撮影:高野晃彰)

この動きをみた家康は、真田氏の討伐を決意し上田を攻めた

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