家康を二度破った知将・真田昌幸 武田信玄に“我が両眼の如し”と称された伝説的な戦功の数々【前編】 (3/7ページ)

Japaaan

昌幸が仕えた武田信玄(Wikipedia)

その後も、1569年(永禄12)の北条氏との三増峠の戦いや、1572年(元亀3)の信玄による西上作戦における三方ヶ原の戦いなどで、信玄麾下の将として数々の戦功を重ねた

その結果、信玄をして「わが両眼の如き者」とまで言わしめるほどの、絶大な信頼を得るに至ったのである。

勝頼への出仕と上野攻略。そして武田家の滅亡

1573(元亀4)年、遠征先で武田信玄が病死すると、昌幸は家督を継いだ武田勝頼に仕えることとなった。翌年には、病床にあった父・幸隆が死去し、真田家は長兄・信綱が総領となる。

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