『べらぼう』庶民、幕閣、大奥から総スカンの松平定信!祖父・徳川吉宗との改革の違いを徹底比較[後編] (3/9ページ)

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そこで吉宗は、合理的な観点からさまざまなシステム改革に着手している。

徳川吉宗

まずは、幕府の税収の基本である米政策について吉宗が行った、「天領の新田開発」「上米の制」「定免法」を考察しよう。

「新田開発」は文字通り新たな水田を開発し、米の生産量を増やす政策である。しかし、吉宗が将軍に就任した当時、幕府には開発費用が不足していた。そこで江戸・日本橋に新田開発の高札を立て、町人請負を含む開発促進方針を公示した。

つまり吉宗は、江戸の大商人たちに「幕府と一緒に新田開発をしませんか」と呼びかけたのである。こうして、下総国の飯沼新田、武蔵国の見沼新田、越後国の紫雲寺潟新田など、広大な新田が開発され、天領(幕府領)の石高は約60万石も増加した。

さらに、諸大名に毎年1万石につき100石を献米させる「上米の制」を実施した。この制度を導入する代わりに、参勤交代の際の江戸在府期間は従来の1年から半年に短縮された。

また税制改革として、年貢を一定期間固定する「定免法」に転換した。これは、豊作や凶作にかかわらず年貢収入を安定させるとともに、役人の不正を防ぐ狙いもあったという。

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