『べらぼう』庶民、幕閣、大奥から総スカンの松平定信!祖父・徳川吉宗との改革の違いを徹底比較[後編] (7/9ページ)
これは、生活に困窮する旗本・御家人を救済するため、札差からの借金の一部を帳消しにし、あるいは低利で年賦償還することを命じた法令であった。
札差とは、旗本・御家人に代わって蔵米の受け取りや換金を行い、その手数料で利益を得ていた商人である。しかし「棄捐令」によって貸し渋りが生じ、貧しい旗本・御家人の中には年を越せない者まで現れた。このため幕府は、慌てて札差への資金供給を行う事態となった。
また、飢饉に備えて農村に米を備蓄させる「囲米(かこいまい)」も、よく知られた政策である。当時の農村は、天明の大飢饉などの影響で離農者が多く、彼らは都市に流入して貧民化し、江戸などの大都市に集中していた。
定信は、農村人口の減少が年貢米の減収につながることを恐れ、こうした人々の帰農を促そうとした。自叙伝『宇下人言(うげのひとこと)』の中で、定信は次のような思惑を語っている。
「倹約令や風俗統制令を発すると、江戸の景気は悪化し、商人や職人は困窮する。その結果、奉公人の給与も下がり、江戸では暮らしていけなくなる。すると帰農者が増え、地方の復興が成し遂げられるだろう。」
しかし、これは理想論者・定信ならではの思考回路が生んだ、現実とは乖離した誤算であったのだ。
このような定信の改革に嫌気がさした庶民の間で、有名な狂歌が広まった。