『べらぼう』庶民、幕閣、大奥から総スカンの松平定信!祖父・徳川吉宗との改革の違いを徹底比較[後編] (8/9ページ)

Japaaan

それが、

「白河の 清きに魚も 住みかねて もとの濁りの 田沼恋しき」

である。

朱子学を始めた朱熹

こうした政権への反発を抑え込もうと、定信は「寛政異学の禁」を発令した。もともと朱子学の信奉者であった定信は、祖父・吉宗の時代に花開いた蘭学をはじめ、同じ儒学であっても陽明学や古学を認めず、身分秩序を重んじる朱子学のみを正統とする方針を打ち出した。

つまり、「上の者の言うことには逆らうな」という姿勢を徹底させたのである。だが、このような「寛政の改革」は長続きしなかった。

庶民はもちろん、幕閣・大奥、旗本・御家人からも総スカンを食らった松平定信は、やがて将軍家斉と衝突して失脚してしまうのである。

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