『べらぼう』庶民、幕閣、大奥から総スカンの松平定信!祖父・徳川吉宗との改革の違いを徹底比較[後編] (5/9ページ)
これを解消するために、吉宗は役職に必要な禄高に達していない者について、在職中に限り禄を加増し、より高い役職に就けるようにしたのである。名奉行として知られる大岡忠相も、この「足高の制」によって要職に登用された一人であった。
以上、吉宗が「享保の改革」で行った主要な政策を挙げてみた。吉宗の政策はほかにも数多く存在するが、主なものだけを見ても実に多様であることがわかる。
吉宗は「米将軍」と呼ばれるほど農業を重視した重農主義の政策を基盤としたと考えられがちである。しかし、「新田開発」にせよ「米相場への介入」にせよ、商業の重要性も十分に理解し、政策に取り入れていた。その意味で、吉宗は合理主義者であると同時に、優れたバランス感覚を備えた為政者であったといえる。
吉宗の政策は、贅沢禁止や年貢アップなど、庶民から反発を受けたものもあった。しかし、「享保の改革」があったからこそ、その後も江戸幕府が約150年にわたり存続することができたのは間違いないだろう。
重商主義の田沼を憎むあまり、現実と乖離した寛政の改革続いて松平定信の「寛政の改革」の主な政策を見てみよう。
吉宗を合理主義者とすると、孫の定信は究極の理想主義者だ。さらに彼は、一時は将軍候補として名前が挙がるほどのエリートであった。