「万葉集」編纂者で反骨の貴族・大伴家持の壮絶人生──左遷・密告・そして汚名【前編】 (2/8ページ)
名門大伴氏の誇りと反骨精神を受け継ぐ
大伴家持は、718年(養老2年)前後に誕生したと伝えられている。
この年は、平城京(奈良)への遷都からちょうど10年目にあたり、律令制のさらなる完成を目指して、藤原不比等らが大宝律令を発展させた養老律令を新たに制定した時期でもあった。
家持の父・大伴旅人は、九州の隼人族の反乱鎮圧などで功績を挙げた軍事貴族であった。隼人の反乱を平定した翌年の721年(養老5年)には従三位に叙せられ、さらにその3年後、聖武天皇の即位に伴い正三位となって公卿に列した。
そして728年(神亀5年)頃、旅人は大宰帥として大宰府に赴任する。当時、平城京では藤原不比等の子である藤原四兄弟(武智麻呂・房前・宇合・麻呂)が、妹・光明子を聖武天皇の皇后に立てるべく動いていた。