「万葉集」編纂者で反骨の貴族・大伴家持の壮絶人生──左遷・密告・そして汚名【前編】 (7/8ページ)
位階も順調に昇進し、771年(宝亀2年)に従四位下、777年(宝亀8年)に従四位上、翌年には正四位下となる。780年(宝亀11年)には参議に任ぜられて公卿に列し、翌年には従三位に叙せられた。
桓武朝に入ると、氷上川継の乱への関与を疑われて解官されたが、すぐに赦免され参議に復し、その後中納言に昇進した。
こうして激烈な政治闘争を骨太の精神で切り抜けた家持は、785年(延暦4年)まで生き抜き、中納言従三位兼行春宮大夫陸奥按察使鎮守府将軍として赴任先の陸奥国で没した。
しかし、没後まもなく長岡京で発生した「藤原種継暗殺事件」において、家持の名が黒幕として挙がり、追罰として埋葬を許されず、官籍からも除名されてしまう。なお、806年(延暦25年)の恩赦により、あらためて従三位に復したのである。
さて[前編]はここまで。