「万葉集」編纂者で反骨の貴族・大伴家持の壮絶人生──左遷・密告・そして汚名【前編】 (5/8ページ)

Japaaan

因幡国庁跡(因幡万葉歴史館)

家持自身は直接に加担していなかったにもかかわらず、因幡守に左遷され、都を追われることになった。なお、759年(天平宝字3年)正月、赴任先の因幡国国府において『万葉集』の最後の和歌を詠んでいる。以後、家持は行政官・武官としての道をひたすら歩んでいくこととなる。

激烈な政治闘争を骨太の精神で切り抜ける

762年(天平宝字6年)、家持は正五位上相当の中務大輔に任ぜられ、京官に復した。中務大輔は、天皇の補佐や詔勅の宣下、叙位など朝廷の職務全般を担う重要な省の次官である。

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