【べらぼう】蔦重が世に送り出した東洲斎写楽のライバル・歌川豊国とは?気になる勝負の結果は… (1/4ページ)
看板絵師の喜多川歌麿と疎遠になりつつあった蔦重(蔦屋重三郎)は、新たな看板絵師として東洲斎写楽(※)を売り出すことにしました。
(※)その正体は、能楽師の斎藤十郎兵衛(さいとう じゅうろべゑ)説が有力。
写楽のデビューは寛政6年(1794年)5月。背景に黒雲母摺(くろきらずり)をあしらった役者の大首絵28作を一気に放出するという、異例の豪華仕様です。
それだけ蔦重の期待が大きかったのでしょうが、写楽の前に強力なライバルが現れました。
彼の名は歌川豊国(うたがわ とよくに。初代)。写楽とは対照的な画風で役者絵を流行らせ、浮世絵界に大きな影響を与えることになります。
今回はそんな歌川豊国(初代)を紹介。果たして写楽との勝負は、どちらに軍配が上がるのでしょうか。
役者絵や芝居絵の権威に
歌川豊国は明和6年(1769年)、江戸芝神明前三島町(東京都港区)に住む人形師・倉橋五郎兵衛(くらはし ごろべゑ)の子として誕生しました。