実は敵より仲間を多く斬っていた!幕末の戦闘集団「新撰組」誇張と脚色に彩られた彼らの実態 (3/6ページ)
隊員たちからは不評だった?新撰組の羽織の模様は実は「忠臣蔵」の浪士たちのオマージュ
それから探索・捕縛についてですが、新撰組はあくまでも幕府や諸藩の京都警備の補佐、つまり「お手伝い」なので、小説やドラマのように京都市中を闊歩したりしていません。彼らの担当は祇園と伏見の繁華街が主でした。
それ以外の御所や役所周辺、町人地や寺院周辺は、会津兵や見廻組が警備していました。
そんなに殺していない新撰組の活躍ぶりも、イメージとは大きく異なります。
時代劇や映画では尊攘派の志士を斬りまくっているイメージですが、彼らの仕事はあくまでも探索と捕縛であり、実は志士たちをほとんど殺していません。
池田屋事件でも、最初は新撰組側も少数精鋭だったので「抵抗されたら殺す」という方針でした。しかしそれも、土方歳三の別働隊と合流した後は、捕縛を徹底しています。
実際、この時の戦果を近藤勇は「打取七、手負二、召取二十三」と示しています。
