『べらぼう』本は総合芸術!壮大な夢噺のラスト飾る“屁”の大合唱!爆笑と号泣の賑やかな最期【後編】 (10/12ページ)
心の中では直前に迫る夫との永遠の別れに胸を痛め、事務的な作業で悲しみを紛らわしていたのでしょう。
クズ屋という言葉で、昔のていの言葉を思い出す蔦重。
「クズ屋に出せば本もただのクズ。読む人がいれば、本も本望、本屋も本懐です。」
蔦重は、この言葉を聞きていと一緒になりたいと思ったのでした。多くの視聴者がこの時のシーンを覚えているでしょう。
そして、「結婚する前に『あなたは陶朱公のように生きればいい』と言った言葉を覚えているか?」と聞き、「そんなふうに生きられただろうか」と独り呟きます。
「陶朱公のように、町を栄えさせ、築いた富を分け与えるとは行かなかったな」と自嘲する蔦重。
「江戸はもちろん、名も知らぬ町まで、見知らぬ人たちが黄表紙を手にとり、狂歌を楽しんでいると聞きました。それは旦那様が築いて分け与えた富ではないでしょうか。
その富は腹を満たすことはできないけれど、心を満たすことができる。心が満たされれば、人は優しくなりましょう。目の前が明るくなりましょう。
次は己が誰かの心を満たそうとするかもしれません。さような笑いという富を、旦那様は日の本中にふるまったのではございませんでしょうか。
雨の日も風邪の日も戯けきられたこと、日の本いちのべらぼうにございました。」
そうか、そうか…と頷く蔦重。
このていの言葉は、すべての本作りに携わる人々(自分もなのですが)の胸を打つ言葉だったと思います。