【豊臣兄弟!】秀吉の草履エピソード、実は『べらぼう』時代に誕生。歌麿も影響された「絵本太閤記」の創作だった (7/9ページ)

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その清正の宴の作品は、幕府に“戦国武将を滑稽に描き、かつエロな内容だ!”と捉えられたそう。さらに、歌麿は、同年、豊臣秀吉が醍醐の花見を楽しんでいる、大判三枚連続の『太閤五妻洛東遊観之図』(たいこうごさいらくとうゆうかんのず)も発表しました。

真ん中に秀吉、その隣に淀君など。『太閤五妻洛東遊観之図』public domain

しかしながら、秀吉や北政所、淀殿などが花見酒にふけって宴に興じている様子が、当時の“将軍・徳川家斉を批判している”と幕府に捉えられて歌麿は手鎖50日の処罰を下されてしまいます。

これをきっかけに「書をもって世に抗う」歌麿の反骨精神はトーンダウンし、絵筆も冴えなくなっていったといわれています。

もし、この時代に蔦重が生きていたら。歌麿の才能とチーム蔦重の力で、実は「勇猛果敢に戦った戦国武将たちも、こんな一面があった」な滑稽本を作ったかもなどと、また妄想してしまうのでした。

忠義の草履の大元は酒井忠勝か

“草履を温めた忠義者”エピソードの大元は、第三代将軍・徳川家光の側近で、若狭小浜藩の初代藩主・酒井忠勝の話だといわれています。

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