『豊臣兄弟!』息子3人を失い一族すべて処刑…豊臣秀吉の姉・とも(宮澤エマ) 激動の生涯 (5/10ページ)
秀吉は、織田信長のもとで頭角を現していき、さらに、本能寺の変で信長が亡くなってからは天下統一へと突き進みます。それに伴い親族もまた重要な役割を担うようになりました。
天正19年(1591)、ともが57歳頃、長男・秀次は関白職を秀吉から譲られて、一家は秀吉の政庁兼邸宅の聚楽第に移ります。この年、秀吉は53歳で淀殿(茶々)との間に授かった、嫡子・鶴丸を病でわずか数えの三つで失うという不幸に見舞われてしまいます。
ともの三人の息子は、長男の秀次・次男の秀勝は秀吉の養子に、三男の秀保は秀吉の弟、秀長の養子となったのでした。
そして、秀次は、正式に秀吉の後継者となり関白に……とも夫婦にとっては最大の栄誉と思われる出来事で、これから輝かしい未来が待っているのかと思いきや、運命はここで大きく変わってしまいます。
聚楽第で政務を執り仕切っていた秀次でしたが、秀吉と淀殿の間に豊臣秀頼が誕生して、状況は一変してしまうのでした。
本当に“病”か?次男・三男が相次いで亡くなる不幸
天下人の姉として百姓から栄光の人生を掴んだように見えたともですが、三人の息子を相次いで失うという、“母”としては最悪の悲劇を迎えます。
まず、文禄元年(1592)のこと。