『豊臣兄弟!』息子3人を失い一族すべて処刑…豊臣秀吉の姉・とも(宮澤エマ) 激動の生涯 (7/10ページ)
秀次は「殺生関白」と言われるほど暴力的な人格(これも後世に作られた人物像という説あり)という噂があったから、後継者を秀次から我が子・秀頼に変えようと考えた秀吉。
「秀次が謀反を企てている」という讒言が耳に入り、秀次を高野山に追放します。
弁明も許さなかった秀次は出家するも「賜死(しし)/死刑の一種」が下され、自害してしまいます。(「秀次事件」の詳細は諸説あります)
無実ゆえの切腹!?妻子ら30余人が公開処刑、謎に包まれた戦国武将・豊臣秀次の切腹の真相さらに、秀次の妻子、侍女、乳母までおよそ30人ほどが処刑されてしまいました。
そのうえ、秀次が見染めて側室へと所望され京都に出向いてきた、最上義光の娘で“東国一の美少女”と名高かった駒姫も、犠牲に。
都に到着したばかりにもかかわらず、“秀次の側室候補”というだけで、三条河原で15歳の若さで処刑されたのでした。
(淀殿がこの話を聞いて“駒姫の処刑は取り消すよう”秀吉に申し入れ、急使を出すも間に合わず、駒姫は処刑されてしまいました。)
あまりにも残酷な出来事の連鎖。ともは処刑を免れたものの、夫の三好吉房は、所領没収、讃岐国に流されて軟禁されたのでした。
ともは、相次いで自分の息子全員を失い、その縁者も失い、夫とは離れ離れになり、すべてを失ってしまいました。
