『豊臣兄弟!』息子3人を失い一族すべて処刑…豊臣秀吉の姉・とも(宮澤エマ) 激動の生涯 (4/10ページ)
もし、ともが武家の姫として生まれたのであれば、状況がめまぐるしく変化する戦国時代で、“政争の駒”として自分が使われることになる覚悟もできていたでしょう。
けれども、生まれてからずっと百姓仕事に勤しんできたごく普通の女性である彼女は、秀吉の出世にともない、運命の渦に飲み込まれていくのでした。
結婚して35歳〜45歳で3人の息子を授かる
ともは、35歳頃で長男の秀次(治兵衛)、翌年には秀勝(小吉)、その10年後の45歳頃に秀保(辰千代)と、三人の息子を産みました。
戦国時代の出産年齢は、平均的に15歳〜24歳だったそうです。今よりもはるかに出産は高いリスクをともなう時代に、35歳〜46歳にかけて3人の子を産むという異例の出産歴を持っている人なのでした。
その理由に関しては、“金銭的に余裕がなく子供を出産し育てるどころではなかった”という説が一般的なようです。
幼い弟妹たちの面倒をみてきたともは、三人の子育てもお手のものだったことでしょう。
彼らが幼い頃は、 “母親”としての充実した平穏な時間を送っていたかもしれません。けれども、その生活は長くは続かなかったのでした。