『豊臣兄弟!』息子3人を失い一族すべて処刑…豊臣秀吉の姉・とも(宮澤エマ) 激動の生涯 (6/10ページ)
次男の小吉・秀勝は、文禄元年に起きた「文禄の役」で、朝鮮国の巨済島に渡るも病を発症し、24歳の若さで陣中にて亡くなってしまいました。離れた異国の地で病に倒れた息子を思う、母親の心中はいかばかりだったことでしょう。
さらに、文禄4年(1595)4月。秀長の養子として大和中納言を務めていた三男の秀保が不可解な死を遂げます。享年わずか17歳。史料によると吉野・十津川温泉で湯治を行っていたところ、病が悪化して死亡したという話です。秀保の死因は複数の説があります。
常日頃、秀保に理不尽な仕打ちを受けていた小姓の恨みが爆発。秀保に抱きつき、二人もろとも川に飛び込み溺死した説や、殺生を禁じる池で魚を獲って食べたために土地の神の怒りに触れて溺死したなど。ただし、これらは、「後世に作られた俗説」という見方のほうが強いようです。
さらに、秀吉は、秀保の死を悼む様子を見せなかったこと、長男の秀次に葬儀を密かに済ませるよう命じたことなど不可解なことも多く、“病死ではなく政治的な意図が絡んだ事件”との説も。
ともは北政所(寧々)に陳情、やっと正式な葬儀を行うことができたそうです。
「秀次事件」で長男は切腹、一族すべてが処刑され
さらに、三男の秀保の死からわずか三ヶ月後の文禄4年(1595)7月。「秀次事件」が起こります。