『豊臣兄弟!』信長は何を恐れた?清洲を離れ小牧山城へ移った理由と「ある武将」の存在 (4/8ページ)
そしてもう一つは、あまり知られていませんが、斎藤龍興と武田信玄の間で軍事同盟が結ばれていたことです。この同盟の背後には、義龍の時代に冷遇されていた斎藤家重臣・長井道利と、禅僧・快川紹喜の働きがあったと伝えられています。
つまり信長は、下手に美濃へ深入りすれば、斎藤氏と武田氏、さらには尾張の抵抗勢力に包囲されかねない状況に置かれていたのです。
尾張統一と美濃攻略のために築かれた城1562年(永禄5年)から1563年(永禄6年)にかけて、尾張と美濃の関係は比較的穏やかに推移していました。この間、信長は犬山城を攻略して織田信清を追放し、ついに尾張統一を成し遂げます。さらにその先、美濃を奪取するための長期的な戦略を着実に描いていきました。
その象徴ともいえるのが、1563年(永禄6年)に着手された小牧山城の築城です。もちろん、この城が犬山城攻略を大きな目的としていたことは間違いありません。しかし、犬山を落とせば次は美濃へ、その流れは誰の目にも明らかだったことでしょう。