『豊臣兄弟!』信長は何を恐れた?清洲を離れ小牧山城へ移った理由と「ある武将」の存在 (6/8ページ)
さらに発掘調査によって、南西中央には一直線に伸びる登山道(大手道)が存在していたことも明らかになっています。これは、後に築かれる安土城と共通する特徴でもあります。
山頂には巨石を用いて三段に築かれた石垣があり、その上の本丸には信長と妻子たちが暮らす天守風の建物が構えられていたと考えられています。
また、清洲城からの移転にともない、家臣たちの居宅も移され、山麓南側には城下町が整備されました。その規模は南北約1.3キロメートル、東西約1キロメートルにおよび、碁盤目状に道路が通されていたことが分かっています。
城下町の内部には短冊形の地割が施され、区画の境には下水設備まで備えられていました。発掘調査からは、当時としては非常に先進的な都市インフラを持つ町であったとされます。
これらの事実は、小牧山城が単なる犬山城や美濃攻略の前線基地ではなく、清洲に代わる新たな本拠地として構想されていたことを物語っているのです。
斎藤方の手強さを痛感していた信長小牧山城は、円形を意識した革新的な縄張りと、計画的に整えられた城下町を併せ持つ、まさに信長の「新たな本拠地」構想を象徴する存在でした。