『豊臣兄弟!』信長は何を恐れた?清洲を離れ小牧山城へ移った理由と「ある武将」の存在 (8/8ページ)

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その後、約半年をかけて加治田城、鵜沼城、猿啄城(さるばみじょう)、堂洞城(どうぼらじょう)など、木曽川沿いに点在する斎藤方の城郭を次々と攻略していきます。

ところが、堂洞城を落としたその日、龍興が自ら三千の兵を率いて来襲。信長は鵜沼城に秀吉軍を残し、小牧山城へと退くことになります。斎藤氏の本拠・稲葉山城に迫りながらも、決して無理に押し切らなかったのは、やはり斎藤方の手強さを強く感じていたからでしょう。

斎藤義龍。NHK大河「豊臣兄弟!」公式サイトより

そして、美濃をそこまでの強敵と意識させた背景には、龍興の父・義龍の存在が大きく影を落としていたと考えられます。

義龍が信長に与えた強烈な印象は、その死後もなお、信長の胸に深く刻まれ続けていたのでしょう。

その義龍については、信長にとって真の強敵であった理由に焦点を当て、別稿にてアナザーストーリーとして人物像や戦いぶりを掘り下げていきたいと思います。

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