実は“カネの亡者”だった戦国武将・明智光秀──人望を金銭で補おうとした資金調達係の末路 (2/6ページ)

Japaaan

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責任者に抜擢されると、彼は「延暦寺に味方する仰木家など皆殺しにせよ」と書状に記し、積極的に殺戮を提案していました。

山科けいすけのギャグマンガ『SENGOKU』では、光秀が信長に取り入るために咄嗟に「延暦寺なんて皆殺しにしましょう!」と適当なことを言ったため、信長が「俺はテキトーに済ますつもりだったけどあいつがそう言うなら…」と虐殺に走るエピソードがありましたが、意外と真実を衝いていたのです。

光秀がここまで乗り気だった理由は、延暦寺攻めの成功で近江国を与えられる約束があったためです。巨額の富が手に入る見返りが、光秀の行動を突き動かしていました。

神仏も怖くない

ちなみに光秀の名誉のために付け加えておくと、延暦寺焼き討ちについては『信長公記』でも「雲霞の如く焼き払った」と記されていますが、地質調査では大規模な焼失の痕跡は見つかっていません。

実際には、光秀軍は大量の薪を燃やして煙を発生させ、恐怖を煽るような心理戦を行った可能性が高いと考えられています。

比叡山は正面から攻撃を受けた経験がほとんどなく、煙に包まれた光景だけでパニックに陥り、早期に降伏したと推測されます。

戦が長引けば経費がかさむため、これは光秀にとっては理想的な展開でした。

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