実は“カネの亡者”だった戦国武将・明智光秀──人望を金銭で補おうとした資金調達係の末路 (3/6ページ)
しかしその後、彼の本性は剥き出しになります。光秀は延暦寺以外の寺領を徹底的に没収し、財産を私物化しました。
彼が延暦寺に優しかったのは信長の名声を守るためであり、光秀自身は神も仏も怖くない、金だけがほしいという姿勢を貫いていたと言えるでしょう。
また、光秀が信長に恨みを抱いたとされる「金柑頭」と呼ばれたなどの逸話は江戸時代の創作で、史料的根拠はありません。
むしろ光秀が謀反を起こした理由は、信長の金欠による支払い遅延など、金銭面のトラブルだった可能性もあります。晩年の信長は常に資金難の状態でした。
徹底的に「人を金で動かす」さて本能寺の変の後、光秀は安土城に乗り込み、蓄えられていた金銀財宝を手に入れました。