『豊臣兄弟!』理不尽すぎる粛清…15歳の美少女・駒姫、罪なき処刑へ——「秀次事件」の悲劇 (3/9ページ)
「容色嬋娟(せんけん)世にすぐれたるのみにあらず、小野小町がもてあそひし道を学び、優婆塞(うばそく)の宮のすさび給ひし跡をも追んとのみ、琵琶を弾じては傾く月の影を招き、花の下に歌を詠じては、移らふ色をいためたり」
(『奥羽永慶軍記』(※)より)
意訳すると、「容姿はまさに絶世の美少女。それだけではなく小野小町が得意とした和歌の道を学び、源氏物語の「宇治の八の宮」が優雅に過ごしたような雅な遊びも追いかけようとしていました。
琵琶を弾けば、まるで沈む月の影を呼び寄せるように美しい音色を奏で、桜や花の下で歌を詠めば、花の色が散ってゆくのをいっそう切なく感じさせてしまうほどでした。」
……というような意味でしょうか。
才長けてながらも、儚げな感じもする美しい少女の姿が鮮やかに浮かぶようです。けれども、その美しさが仇となり斬首される運命を招いたのでした。
※奥羽永慶軍記:江戸時代に秋田の戸部正直によって記された軍記物語
謀反の罪で秀次切腹に巻き込まれた駒姫
駒姫を悲劇に巻き込んだのが、秀吉の姉ともの長男・秀次。秀吉の甥でした。
秀次は、天正19年(1591)、秀吉天下統一最後の戦い「久戸政実の乱」平定後、帰国途中に最上義光の山形城に立ち寄ります。そのとき、まだ11歳ほどだった駒姫も、琵琶を弾くなどの接待をしたそうです。
そして、秀次が一目惚れし、駒姫を側室に欲しいと求めました。