『豊臣兄弟!』理不尽すぎる粛清…15歳の美少女・駒姫、罪なき処刑へ——「秀次事件」の悲劇 (7/9ページ)
豊臣家を見限り徳川についた最上義光
この秀次事件を、人々は厳しく批判しました。
『太閤記』によると、夜のうちに街の随所には
「今日の狼藉は、無法極まる。行く末めでたき政道にあらず。ああ、因果のほど御用心候え」
と書かれたそうです。政権のあまりの残酷さに黙って見過ごすことのできない人々の厳しい言葉。憤りの声が噴き出したのでした。
駒姫の処刑後、母の釈妙英も亡くなりました。娘の死に堪えきれず、自ら命を絶ったのだろうといわれています。
この出来事で、当然ながら最上義光は豊臣家を見限りました。関ヶ原の戦いでは東軍の家康に与して見事勝利に貢献。それで気持ちが晴れるようなことはないにしても、娘と妻の仇をとった一戦といえるのではないでしょうか。