『豊臣兄弟!』理不尽すぎる粛清…15歳の美少女・駒姫、罪なき処刑へ——「秀次事件」の悲劇 (5/9ページ)
8月2日、真夏の京都。『関白雙紙(かんぱくそうし)』によると、処刑される女性たちは皆、死装束の白い経帷子を着せられ梵字を書いた手拭いを付け、髪を下ろしていたそう。
小瀬甫庵『太閤記』には、処刑されることを知らず牛車の上で無邪気に母親に抱き付き甘える幼児らの姿をみて、見送る京の人々はこらえきれずに涙したという記録があるそうです。
その光景がありありと浮かぶだけに、胸が締め付けられます。
刑の執行は、三条河原に竹垣を設けて行われました。秀次の正室から始まり次々と側室や幼な子らが斬首され、駒姫は11番目でした。
父・最上義光は、秀吉に必死で娘の助命嘆願を行い、各方面からも「まだ夫婦にもなっていない駒姫を処刑するのは残酷だ」と助命の声があがりました。
淀殿が秀吉に願いでたこともあり、秀吉は「鎌倉で尼になる」ことを条件に、駒姫の処刑中止を決め「処刑中止」の早馬を三条河原に走らせます。
けれど、時すでに遅し。早馬が処刑場まであと100mと迫ったところで間に合わず、駒姫は処刑されてしまったのでした。
あまりにも切ない駒姫の辞世の句
駒姫は辞世の句を残しました。
「罪をきる 弥陀の剣にかかる身の なにか五つの障りあるべき」
(罪も犯していないのにこれから斬られる我が身。もし、お慈悲ある阿弥陀仏の剣であれば、女性の「五つの障り」(※)は断ち切られて、きっと成仏して極楽浄土に行けるでしょう。