『豊臣兄弟!』理不尽すぎる粛清…15歳の美少女・駒姫、罪なき処刑へ——「秀次事件」の悲劇 (6/9ページ)
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※五つの障:女性が生まれつき持っている五つの障害、煩悩・業(ごう)・生・法・所知で、仏道修行の妨げとなる考え
『太閤記』には、辞世の句がもう一つあります。
「うつつとも 夢とも知らぬ世の中に すまでぞかへる白川の水」
(現実なのか夢なのかわからないこの世の中に、長く住むことなく、私はあの世に帰るのでしょう。澄むことなく、寄せては返る白川の水のように)
取り乱すことない聡明な駒姫らしい辞世の句といわれています。
けれども内心はどうだったのでしょうか。
長旅でやっと京都に到着したと思ったら、突然夫になるはずの秀次が切腹し自分は処刑を言い渡される……そんな悲劇に、いくら武家の娘だからといっても、すぐ納得して受け入れたのではないと思います。
驚きや悲しみ、嘆きや絶望など、人として当たり前の感情が胸の内に嵐のように吹き荒れたのではないでしょうか。
個人的には「罪をきる 弥陀の剣にかかる身の」部分に、“私は何の罪も犯していない”……という、持って行き場のない感情と、それでも処刑を受け止める自分に対しての誇りのような思いを感じました。
恨みつらみの言葉は残さなかった駒姫。「武家の娘らしくい立派な最後だった」と、褒め称えられる句を残したのは、あとに残される父や母を思ったからかもしれません。
「姫はどんな思いで処刑を受け止めたのだろう」と父母が想像して苦しまないように、「私は武家の娘。覚悟を決めましたよ」と思わせたかったのでは。まだ、15歳の少女が、どんな思いでこの辞世の句を詠んだのかと思うと、胸が塞がれる思いです。