『豊臣兄弟!』徳川家康(松下洸平)が「あやつらが恐ろしい」と漏らした“得体の知れない者”の正体とは? (5/7ページ)

Japaaan

彼らはみな、どこからかの時点で生まれ故郷の「ムラ」「イエ」から離れ、広い世界に身を投じています。このような人々は、小世界を飛び出し、広い世界に出ることで、自然とネットワークを持つようになり、そこからさまざまな情報を得るようになりました。

しかし彼らは家康のような在地を基盤とした武士から見れば、素性のはっきりしない「怪しい人」で、秩序から逸脱した、「得体の知れない人々」でもあったのです。

このような人々は、武士だとしても決まった主君をもたずに各地を放浪する雇われ武士。また、ものを売りさばくために広い範囲を股にかける商人たち。あるいは、諸国を巡る旅芸人たちなどでした。そして彼らの中からは、このような活動により「外交」や「諜報」に長けた人々が生まれてくるのです。

秀吉・光秀・川並衆に共通する経験とは

秀吉は、少年期から生まれた村を飛び出して放浪します。信長に仕えるまでの前半生は謎に包まれていますが、遠江の小領主・松下家に仕官した後は、針を商う商人として、尾張・美濃・近江などをめぐっていたとの説もあり、その地域の地理・流通・人間関係に精通していたともされます。

光秀についても前半生はよく分かっていません。一応、美濃の小領主の出身とすると、斎藤道三の死後、没落して各地を浪々し、越前に落ち着きます。つまり、彼も越前・美濃・近江にまたがる広い地域で活動していました。

正勝や長康らの川並衆は、木曽川・長良川流域の水運を統括する武士でありながら商人的なスタンスを持つ人々です。

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