『豊臣兄弟!』徳川家康(松下洸平)が「あやつらが恐ろしい」と漏らした“得体の知れない者”の正体とは? (6/7ページ)
ですから、彼らは、広い地域の地理を把握しており、街道から外れた間道や土豪ネットワークを熟知した越境集団ともいえるのでした。
この「世上をする人」とは対照的に、家康は典型的な「在地領主型武士」です。幼いころから実家が衰退し、織田・今川の人質だったとはいっても、松平家は三河という土地とその家臣団に根差す、在地結合型の大名であったのです。
家康にとっては、土地にも主従関係にも縛られない者たちは、理解不能であり、「得体が知れない、恐ろしい」と捉えたのは極めて自然な感情でした。
金ケ崎城からの撤退戦は、撤退に必要なルートを熟知していること、その沿道の土豪などへの勢力に対して根回しや懐柔があってこそ、無事に帰還できたことは間違いないでしょう。
だからこそ、この撤退戦の成功は「世上をする人」たちが揃っていたからこそ可能になったと言えるのです。