『豊臣兄弟!』浅井三姉妹だけではなかった…姉川で全滅した“浅井四兄弟”の壮絶な最期 (3/9ページ)
長政が父・浅井久政(榎本孝明)を隠居させる謀議に加わるなど、浅井家の宿老として、遠藤直経(伊礼彼方)らと共に長政を補佐しました。
姉川大合戦では浅井軍の第二陣に配属されますが、織田軍の氏家直元(河内大和)に討ち取られてしまいます。
嫡男の浅井政勝(まさかつ)は姉川こそ生き延びたものの、天正元年(1573年)8月の小谷城攻めで討死してしまいました。
まだ20歳前後の若武者だったそうです。もしかしたら、政勝にとっては姉川大合戦が初陣だったのかも知れませんね。
次男・浅井雅楽助
生年不詳~元亀元年(1570年)6月28日没
実名は不詳、一説に浅井政成(まさなり/まさしげ)。永禄3年(1560年)ごろに三男の浅井斎宮助による大言壮語を咎めたことから、十年ほど絶縁状態となってしまいます。
しかし御家の一大事である姉川大合戦を前にして、兄弟で争っている場合ではないと斎宮助の陣所を訪ねて和解しました。これで心残りはないと大いに勇戦し、兄弟揃って討死したということです。