『豊臣兄弟!』浅井三姉妹だけではなかった…姉川で全滅した“浅井四兄弟”の壮絶な最期 (7/9ページ)
長兄の玄蕃允と末弟の木工助も討死し、かくて浅井四兄弟は全滅したのです。
雅楽助と斎宮助の和解
先ほど紹介した雅楽助と斎宮助の対立と和解については、多くの人々が心を打たれるものでした。
こちらのエピソードも『浅井三代記』に残っているので、読んでみましょう。
……中にも物のあはれをとゝめしは浅井雅楽助兄弟そかし先年野良田合戦(のらだがっせん)御影寺合戦(みえいじがっせん)終て後朋輩ともとよりあひ(寄り合い)味方の働の僉議(せんぎ)なと侍れは(はべれば)斎宮助申けるはたれたれ(誰々)と申とも我等か祖父大和守働又は兄玄蕃なとか(等が)働ふりに越たる者家中には候はし(そうらわじ)と申けれは兄雅楽助大に怒てかほと(かほど)歴々多き中にて其荒言(こうげん。高言)は無益なりとはちしめ(恥じしめ)けれは斎宮助は歴々の中にて諫言せらるゝ事奇怪(きっかい)なりとてそれより近年中をたかひて(仲を違いて)居たりけるか二十七日(姉川大合戦前夜)の亥の刻(いのこく。