『豊臣兄弟!』浅井三姉妹だけではなかった…姉川で全滅した“浅井四兄弟”の壮絶な最期 (4/9ページ)
生年不詳~元亀元年(1570年)6月28日没
実名は不詳、一説に浅井政連(まさつら)。浅井家中において、我が兄や祖先ほどの働きをした者はいないと大言壮語。次兄の雅楽助から公衆の面前で咎められたため「メンツを潰された」と激怒します。
※ただ雅楽助にしてみれば、弟のメンツ以上に浅井家中での立場を優先したのは当然と言えるでしょう(弟の大言壮語をきちんと指導しないことで、同意しているなどと周囲から思われてはたまりません)。
雅楽助の申し出によって打ち解けた斎宮助もまた、心置きなく奮闘し、武士として立派な最期を遂げたのでした。
四男・浅井木工助
生年不詳~元亀元年(1570年)6月28日没
実名は不詳、一説に浅井政重(まさしげ)。兄たちと一緒に度々従軍しており、例えば永禄3年(1560年)8月に六角義賢(ろっかく よしかた。六角承禎)と争った野良田合戦では「浅井玄蕃允兄弟四人」、姉川大合戦では「浅井玄蕃兄弟四人」と記されています。
