『豊臣兄弟!』秀吉と小一郎はなぜ“羽柴”に?やがて徳川家康まで名乗らされた姓の正体 (3/4ページ)

Japaaan

羽柴の姓を使わなくなる秀吉

秀吉と言えば、姓など名乗らずともわかるだろうという傲慢さ(画像:Wikipedia)

このように羽柴の姓は周囲から認められるようになりました。しかし秀吉が立身出世すると、あまり使われなくなったようです。

もちろん秀吉は死ぬまで羽柴(豊臣は本姓であり、姓とは別)だったのですが、いちいち署名しなくなったのでした。

特に主君である織田信長(小栗旬)の死後、織田政権を乗っ取った天正10年(1582年)以降は傲慢に振る舞い、署名もぞんざいになっていきます。

書状を発給する際は家臣名義の奉書とし、自分で署名する時はただ「秀吉」のみ。ひどいものだと花押(かおう。サイン)や印判(ハンコ)だけなんてのもありました。

奉書とは相手に直接出さず、家臣に用件を口頭で伝えて家臣から相手に「ウチの殿があなたにこんなことを言っていました」という内容で出す書状です。

実に上から目線で、周囲が反感を覚えようと知ったことかとばかりの傲岸不遜ぶりが、さすが天下人と言ったところでしょうか。

秀吉が最後に羽柴の姓を署名したのは、天正13年(1585年)10月13日付で出された遠藤基信(えんどう もとのぶ。伊達政宗家臣)への書状だったそうです。

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