『豊臣兄弟!』秀吉と小一郎はなぜ“羽柴”に?やがて徳川家康まで名乗らされた姓の正体 (2/4ページ)

Japaaan

ともあれ秀吉は羽柴筑前守と称するようになったのでした。

まだ「木下」を使っていた小一郎

歌川豊宣「新撰太閤記 稲葉山落城」より、奮戦する羽柴小一郎秀長(中央)

かくして羽柴筑前守となった秀吉。しかし小一郎の方は、もうしばらく木下の姓を使用していたようです。

「羽柴」小一郎長秀の署名が使われるようになるのは天正3年(1573年)以降で、それまでは秀吉一人が羽柴の姓を使っていました。

秀吉一人が勝手に名乗り始めた羽柴の姓が周囲に認められて、それなら我らも使おうじゃないかと、小一郎や一族の者たちもならったのでしょうか。

「『豊臣兄弟!』秀吉と小一郎はなぜ“羽柴”に?やがて徳川家康まで名乗らされた姓の正体」のページです。デイリーニュースオンラインは、遠藤基信豊鑑豊臣兄弟!豊臣秀長竹中重門カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る