『豊臣兄弟!』秀吉亡き後、徳川家康が恐れた“最悪の事態” 〜藤堂高虎と井伊家が封じた西国大名の進軍路【後編】 (2/8ページ)

Japaaan

幕府の本拠である江戸を守るため、さらに周到な軍事配置を進めていきます。

その要となったのが、家康の重臣・井伊直政と直孝父子、そして藤堂高虎でした。

井伊直政(Wikipedia)

井伊直政・直孝は、『豊臣兄弟!』にはおそらく登場しないでしょう。しかし、井伊直政といえば、本多忠勝・榊原康政・酒井忠次と並ぶ徳川四天王、しかもその筆頭格です。徳川家を語るうえで、欠かすことのできない人物なのです。

とはいえ、直政の生涯を詳しく語り始めると、それだけで一篇の記事になってしまいます。ここでは要点だけを押さえておきましょう。

直政は1561年(永禄4年)、今川家の重臣・井伊直親の子として生まれました。しかし直親は、今川氏真に謀反を疑われて殺害されます。当時、直政はわずか2歳。家督は一時的に井伊直虎が継ぐことになりました。そう、「女城主・直虎」です。

1575年(天正2年)、直政は15歳で家康に出仕。その7年後には旗本部隊の侍大将に抜擢されます。この時、直政の配下には旧武田家の精鋭武士団が配属されました。これが、有名な「井伊の赤備え」の始まりです。

「『豊臣兄弟!』秀吉亡き後、徳川家康が恐れた“最悪の事態” 〜藤堂高虎と井伊家が封じた西国大名の進軍路【後編】」のページです。デイリーニュースオンラインは、井伊直孝藤堂高虎井伊直政徳川家康戦国時代カルチャーなどの最新ニュースを毎日配信しています。
ページの先頭へ戻る