『豊臣兄弟!』秀吉亡き後、徳川家康が恐れた“最悪の事態” 〜藤堂高虎と井伊家が封じた西国大名の進軍路【後編】 (6/8ページ)

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そのために、井伊家の彦根城藤堂家の津城、さらに尾張徳川家の名古屋城という防御ラインを構築しました。

彦根城佐和口続多聞櫓(Wikipedia)

西国の反乱軍が京都を抑え江戸を目指すとなると、その進軍路は大軍ゆえに中山道・東海道になります。中山道には彦根城、東海道には津城。ここでまず西国軍は足止めされます。両藩合わせて67万石、動員兵力は約2万。しかも両城は堅城として名高く、容易には落とせません。

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