『豊臣兄弟!』秀吉亡き後、徳川家康が恐れた“最悪の事態” 〜藤堂高虎と井伊家が封じた西国大名の進軍路【後編】 (8/8ページ)

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名古屋城大小天守と本丸御殿(Wikipedia)

しかし残念ながら、江戸防衛のための防御ラインが実戦で試されることはありませんでした。260年後の幕末、鳥羽・伏見の戦いから始まる戊辰戦争において、彦根藩・津藩・尾張藩はいずれも新政府側に与します。

家康が築き上げた鉄壁の西国防御ラインは、機能することなく歴史の舞台から消えていったのです。

※参考文献
本郷和人著 『戦国史のミカタ』 祥伝社

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