『豊臣兄弟!』秀吉亡き後、徳川家康が恐れた“最悪の事態” 〜藤堂高虎と井伊家が封じた西国大名の進軍路【後編】 (7/8ページ)

Japaaan

津城(Wikipedia)

仮に西国雄藩の総石高を300万石としても、動員できる兵数は約9万。彼らは遠征軍なので自領に留守の兵は残して置かなければなりません。すると、多く見積もっても兵力は7万くらい

その兵力で彦根城と津城を包囲したとしても、そこに名古屋城を出兵した尾張藩60万石の兵(最大で1万8千人)が背後から襲い掛かってきます。これでは、反乱軍に勝機はほとんどありません。加えて、関東から幕府軍が西上すれば、挟撃によって壊滅は必至となります。まさに、家康が描いた「詰みの布陣」でした。

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