朝ドラ【風、薫る】フユは本当に嫌な先輩?実在モデル・吉村セイは若き看護婦を導き慕われた“人格者”だった (5/8ページ)

Japaaan

〜「明治初年、東大附属病院で看病婦を雇ったとき、なり手がいなかったので、やむおえずに吉原のやり手婆さんを連れてきて看病をさせた」「そしてやり手上がりの看病婦が、65歳〜70歳くらいで長キセルをふかしながら、若い看病婦の取締にあった」(『明治女性史』)〜

〜看病婦は、莫連女(世間ずれしている女)で「出戻りかさもなくば、あばずれのしたたか者と思われるような者ばかり」(『職業夫人調査』)〜

など、ひどい言いいようの史料も複数存在していたそうです。

実際に、そのような人もいたようですが、すべてが同じ評価をされてしまっては、働いているほうとしては仕事へのモチベーションも下がるし、向上心も失うでしょう。

医師や病院側も、知識を学ばせる機会を積極的に作るわけでもなく、やる気のある人は、自分で見よう見まねで覚えるしかなかったようです。

明治時代の花魁。やり手(左)と禿と。このやり手はだいぶ若そうですが、年配が多かったようです。wiki

ベテラン看病婦に感銘を受けた大関和

そんな状況で働く看病婦の前に、ある日突然、紺色のロングワンピースに真っ白なエプロンとキャップという、モダンなユニフォームの若い見習い看護婦が入ってきて「トレインド・ナースです」と名乗られても、「気に入らない」と思うのは無理もありません。

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