『豊臣兄弟!』小一郎が悪辣城主に怒りの鉄拳!まさかの父子共演で描かれた竹田城攻めを史実とともに考察 (10/11ページ)

Japaaan

実際、天正5年(1577)秀吉は1万5千ほどの兵を率いて上月城を包囲し12月に落城。秀吉は城内にいた200人ほどの女性を磔、子供は串刺しにして国境に晒したという記録が残っているそうです。

その後、攻略した上月城に尼子勝久山中鹿介を入城させるも、今度は毛利軍が大軍で上月城を包囲。信長に救援を求めるも援軍は出されず。籠城のすえに降伏し、尼子勝久は自刃、山中鹿介は捕まり誤送途中に殺害されました。この悲劇は秀吉にとって大きな痛手になったと伝わります。

軍記物や講談などで語り継がれる有名な話ではありますが、今までの脚本を見る限り、比叡山では女子供を逃すなど「命を守る」秀吉として描かれてきただけに、いきなり「秀吉が処刑を命じ闇堕ち」は、性急でそのまま過ぎるような。

ドラマでは、命が短い半兵衛の献策、城攻めが得意な官兵衛の策、実は「もはやこれまで」と悟った上月城側の集団自害……など、意外な脚本になるのかもと、あれこれ想像してしまいました。波乱の展開になりそうな次回を見守りたいと思います。

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