『豊臣兄弟!』竹中半兵衛の死後、秀吉四参謀はどうなった?謎多き家伝「武功夜話」が伝えるそれぞれの最期 (4/11ページ)

Japaaan

徹底した能力主義を実践した織田信長。(NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK)

長康は半兵衛の言葉に対し「遺筆なお生あってその一言うところ濠然として秋霜の如し」と述べています。重い病で生死をさ迷うような状態でも、半兵衛の冷静な観察眼に対し畏敬の念を表わしていました。

しかし半兵衛の心配は、1582年(天正10年)の本能寺の変で信長が没することで杞憂に終わるのです。

正勝が死の床で語った豊臣政権への不安

次に亡くなったのは蜂須賀小六正勝です。秀吉が関白宣下を受けた翌年の1586年(天正14年)になると小六は病に臥せ大坂で養生していましたが、7月8日に没します。享年61歳でした。

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