『豊臣兄弟!』竹中半兵衛の死後、秀吉四参謀はどうなった?謎多き家伝「武功夜話」が伝えるそれぞれの最期 (9/11ページ)

Japaaan

豊臣政権の京都政庁である聚楽第を造営し、城下の千本屋敷で政務を担当後陽成天皇聚楽第行幸の際にはその饗応役を務めています。

出会った頃の長康と秀吉。(NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK)

秀吉はそのような長康の文武における才能を買い、朝鮮出兵(文禄の役)では軍監および奉行を命じます。もとよりこの件に関しては反対の立場にあった長康ですが、2,000名の兵卒を率いて渡海しました。朝鮮では明の大軍による猛攻を受け、一族をはじめ多くの家臣を失いますが、奮戦して明軍を退けています。

ただこの出征で長康の心には大きな傷が残りました。その傷とは現地で日本軍の惨状を目にしたのにもかかわらず、秀吉に朝鮮出兵の誤りを正面から諫言できなかったことでした。それほどに秀吉との距離が遠くなっていたのです。

それでも秀吉は、関白職を譲った秀次の付家老および後見役を長康に任せます。

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