『豊臣兄弟!』竹中半兵衛の死後、秀吉四参謀はどうなった?謎多き家伝「武功夜話」が伝えるそれぞれの最期 (6/11ページ)

Japaaan

🄫NHK)

秀吉の天下統一事業が進むにつれ、かつて秀吉を支えた宿老たちの立場に異変が起きつつあることを、死を前にして正勝は予感していたのです。

秀長亡き後、ただ一人残された長康

1590年(天正18年)は、秀吉にとってはまさに筋目といってよい年でした。小田原の役で北条氏政・氏直父子を降し、名実ともに秀吉の天下統一が果たされたのです。

北条氏を降し天下人となった秀吉。(NHK大河ドラマ「豊臣兄弟!」公式サイトより。🄫NHK)

しかしこの年になると、秀長は病のため小田原参陣どころか、上京して政務を行うことすら叶いませんでした。この年の初め、長康は見舞いのため郡山城に訪れ、秀長に問われるまま秀吉の施政について答えます。長康から聞く秀吉の近況について、秀長は病床から切々と意見を述べますが、その多くは批判的なものでした。

長康はやせ細り、声も枯れてしまった秀長を正視できず「思わず眼をそらし」と述べています。秀長が直接秀吉に諌言できない無念を語る「殿下は鶴松君の誕生以来、我ら古参の者の意見も軽んじられ、淀殿側近の意見ばかり聞くようになってしまった」と嘆いているのです。

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