【豊臣兄弟!】実は本能寺の変の“黒幕級”だった?明智光秀(要潤)の右腕・斎藤利三(内藤剛志)の生涯 (3/10ページ)
生年は、天文3年(1534)もしくは天文7年(1538)頃、父は伊豆守某か伊豆守利賢など、母も明智光秀の妹、親順の女とするもの、妻についても稲葉良通の女、姪とするものなどがあり、生い立ちは諸説ある人物です。
『寛政重修諸家譜』によると、摂津国の松山新介に仕え京都白河の軍事をつとめ、次に美濃国の斎藤道三の嫡子・斎藤義龍に仕えました。
その後、美濃三人衆(稲葉良通・安藤守就・氏家直元)の一人、稲葉良通が織田氏に寝返ると共に、良通の家来になったと伝わります。(与力だった説も)
『信長公気』によると、元亀元年の金ヶ崎撤退戦の直後は、良通のもとで一揆の鎮圧などで働いたようです。
けれども、明確ではありませんが、軍功をあげたのに良通の待遇が悪いこと、良通への諫言が退けられたなどで、元亀元年(1570)良通の元を離れました。
そして、利三はまさに当時「絶賛売り出し中」の明智光秀の家臣になるのでした。
さらに、時を経て天正10年(1582)、同じく良通の家臣である那波直治が稲葉家を致仕して光秀の家臣になったため、これにキレた良通は信長に直訴。
信長は、直治・利三を戻すように命じるも、光秀は拒否したために、激怒した信長が光秀を殴ったことが本能寺の変につながった……という説もあるそうです。