【豊臣兄弟!】実は本能寺の変の“黒幕級”だった?明智光秀(要潤)の右腕・斎藤利三(内藤剛志)の生涯 (4/10ページ)
(『稲葉家譜』)
「できる武将」利三は筆頭家老として光秀を支える
400〜500年近く前の戦国時代は、好待遇を求めて主君を変えることは当たり前でした。より良い条件でスカウトの声がかかるほうが「できる人材」と評価されたことになるので、ステータスでもあったとか。
まるで現代の転職マーケットのようですが、斎藤利三はまさに「できる武将」として評判だったそうです。
当時、信長から丹波国の攻略を命じられていた光秀は、4年がかりでようやく制圧に成功します。利三は天正8年(1580)に丹波・黒井城の運営を任されました。
ところが、長い戦いの上に手に入れた黒井城は、城門も城壁もボロボロ状態で、周辺の田畑も荒れ果てていたので、周辺の民たちは新たなる支配者・利三を歓迎しませんでした。
そこで、明智軍が基地として使った白毫寺の僧たちに「人足役」(課される労働)を免除する政策を打ち出すなど、地元民と良好な関係を築き上げるために、さまざまな対策を行いました。
利三は、光秀の元で現地支配や軍事動員に関わる実務を任され、明智秀満と並ぶ明智氏の筆頭家老に。1万石を与えられて丹波黒井城主となり、氷上郡統治にあたりました。