【豊臣兄弟!】実は本能寺の変の“黒幕級”だった?明智光秀(要潤)の右腕・斎藤利三(内藤剛志)の生涯 (5/10ページ)
手のひら返しの信長に光秀とともに謀反を起こす
本能寺の変、『四国説』とは、以下のような内容です。
天正8年、織田信長は大阪本願寺の戦いが完全に終わると、今まで認めていた「長宗我部元親の四国平定」を認めないと方針をひっくり返しました。
光秀を通じて「支配するのは土佐と阿波南半分で我慢するよう」に命じるも、元親は拒否します。
これに対して信長は、阿波三好家出身の三好康長に治めさせることにし、翌10年1月、元親に「土佐1国だけで我慢しろ」と光秀を通して伝えます。
突然の手のひら返しの信長のやり方に激怒した元親は、返事もしなかったとか。
長宗我部家の滅亡を恐れた光秀は元親を説得しますが、その最中に、信長は三男の織田信孝を総大将にして、元親征伐を兼ねた四国出兵を命じたのでした。
長年、元親と信長の取次をしてきた努力をむげにする信長のやり方に怒りを感じた光秀は、明智家の危機と捉え謀反を決意しました。
元親の妻は、光秀の重臣・斎藤利三の義理の妹だったとか。そんな縁があって、光秀は取次役を一手に引き受けたのですが、もちろん利三も関わっていたので、立場を失ったのは光秀同様でした。