【豊臣兄弟!】実は本能寺の変の“黒幕級”だった?明智光秀(要潤)の右腕・斎藤利三(内藤剛志)の生涯 (6/10ページ)

Japaaan

(『元親記』)

ただ、『石谷家文書』によると、天正10年(1582)5月21日付で、長宗我部家元親が、斎藤利三に宛てた書状が残っているとか。

それによると……

「一宮城、夷山城など阿波にある主要な城5つからは信長の命令通り退城するが、海部城など2つの城は土佐の玄関口にあたるので所有を認めて欲しい」

と、信長への取り次ぎを懇願しているそう。

元親は徹底的に信長と戦いたかったわけではなかったようです。

そのため、光秀と利三の謀反の動機は、「元親への手のひら返しへの復讐」とも考えづらく「立場を潰された復讐」ともいいづらく、見解はそれぞれの研究者によって異なります。

やはり、「信長の息子・信孝が元親征伐で大勝利を収めたら、明智家の面子は潰されたうえに存亡に関わる」ので、その前に謀反を起こした……のが一番自然なのではないかと言われているのですが。

長宗我部元親。(NHK「豊臣兄弟!」公式「X」より

「斎藤蔵助、今度謀反随一」いう記録が

天正10年(1582)、明智光秀は斎藤利三ら五人の側近を集めて、信長への謀反を打ち明けます。

最初は、断固として謀反に反対した利三でしたが、周囲が皆賛成したために同意します。

6月2日、信長のいる本能寺を約13,000人の明智軍が問い囲んで襲撃したときに、真っ先に突入したのが斎藤利三だったともいわれています。

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