『豊臣兄弟!』本能寺の変、勃発!信長を失った豊臣兄弟はどう動く?次回へ続く「中国大返し」と山崎決戦を解説 (2/10ページ)

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尼崎に諸将が集結

備中高松城を攻めていた秀吉。歌川芳艶「高松城水責之図」

時は天正10年(1582年)6月3日、子刻(深夜24:00ごろ)に備中高松(岡山県岡山市北区)の秀吉陣中へ飛脚が届きました。本能寺の悲報を受けた秀吉は、毛利輝元(濱正悟)との和議をとりまとめます。

そして6月6日の未刻(午後14:00ごろ)に秀吉は高松を出立し、その日は沼城(岡山県岡山市東区)まで到達しました。距離的にはほとんど動いていない印象ですが、出陣態勢を整えたのでしょうね。

翌6月7日には洪水のため足止めを食らい、6月8日には本拠地の姫路城(兵庫県姫路市)へ帰還しました。

改めて支度を整えた秀吉一行は6月9日に姫路を出立、6月11日に尼崎城(兵庫県尼崎市)へ到着します。

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