『豊臣兄弟!』本能寺の変、勃発!信長を失った豊臣兄弟はどう動く?次回へ続く「中国大返し」と山崎決戦を解説 (8/10ページ)
落ち武者狩りに狙われる光秀。月岡芳年「月百姿 山崎小栗栖月」
さて、勝竜寺城へたどり着いた光秀が将兵の点呼をとると、騎馬500に弓鉄砲が400ばかり残っていました。
ほとんどが逃げ散ったようで、それも夕方ごろには100すら残っていないという有り様です。
これでは勝竜寺城も保ち切れないと判断した光秀は、日没を待ってわずかな家臣と共に伏見城を目指しました。光秀に随従していたのは
溝尾茂朝(みぞお しげとも。明智勝兵衛) 進士貞連(前出) 村越三十郎(むらこし さんじゅうろう) 堀毛与次郎(ほりげ よじろう) 山本仙人(読み不明。せんにん?) 三宅孫十郎(みやけ まごじゅうろう)ほか数人くらいはいたかもしれません。一行が伏見を目指す道中、落ち武者狩りにあって命を落としたのはあまりにも有名です。
竹槍に突かれて苦痛に悶絶する光秀を勝兵衛が介錯(斬首)し、その首級を抱えてなおも逃げ続けました。
しかし勝兵衛は逃げる途中で光秀の首級を竹やぶに隠し、自身は自害して果てたと言います。
光秀は自分の首級を知恩院(京都市東山区)に葬るよう遺言しましたが、村井貞勝(さだかつ。春長軒)に発見され、秀吉の元へ届けられました。
